年末年始お疲れ様でした
正月三が日もほとんど終わり、今回の年末年始も過ぎ去りましたね。
年末ぎりぎりに久々に書いたブログでは、わりと夢中でたくさんの文字数を書けて、文章を書くのは楽しくてやってたんだなあと少し思い出しました。
そんな感じで、近頃は本当にアウトプットが減っていました。
それは少し前のブログにも書いた、インターネット上での心の傷が少なくない影響をもたらしていたと思います。
少し楽しみを思い出せたので、また今日も書いてみます。
多分今までのことを考えるに、このアウトプットの楽しさもそんなに長続きしないと思うけど、あるうちにまたやっておこう。
このブログも2回の移動を経て、昔に比べたらめっきりアクセスがないですが、まあ個人的な、精神の景色をだらだら書く場所なので、そんなもんだと思うようにしています。
というか昔はもっとブログ自体が活気があったので、バフがかかっていたようなものですね。
それでもはてなに移ってから、たまにはてなスター(はてなのいいね的なやつ)をいただいたりして、心の慰めになります。
おそらくいつも見る方というより、なんとなくたどり着いて見ている方だと思います。
私ははてなスターのお返しとかはやらないんですが、ありがたいです。
(ありがたくともお返しをしないのは、私の性格上プレッシャー感じて、色々と緊張感を持ってしまうからです)
正月は、一般的な夫婦と同じく、お互いの実家への顔見せという行事をやりました。
毎度毎度これが気が重く、頑張りどころです。
私の実家はごく最低限で済ますことが出来ました。
私たち夫婦は子どもを持たない夫婦なので、口に出されることはなくとも、なんとなく一瞬”子ども…”という空気を親から感じましたが、
自分の親に対しては「私は子供を持てない」と思えるような出来事がたくさんあっただろう、と強く思えます。
私の人生ってなんなのと思うような許せないこともあったなかで、こうやって家に来るだけでも十分なはずです。本当はもう会わなくてもいいと思っています。
私のように、親に複雑な感情を持ちながらも、自分はそうじゃない育児をしようと子供を持っている人がいることも知っていますが、そういう反骨精神のようなものも私にはありません。
とにかく精神的な元気がないんです。
夫の実家では、一年分の気配りをやりました。
これは私がやらずにはいられないことだし、何年もしていることなのでそこまで苦しくありません。
夫の親は自分の親に比べ竹を割ったようにさっぱりしているし大丈夫です。
ただ夫家の家族には小さな子供もいるので、夫の家族からは遠回しではありますが「早くそういう事が起きると良いね…」=子供出来たらいいね的なことを伝えられる時がありました。
これは私の親からのに比べて、かなりずっしりと心に来ます。
私が子供を持つことは拒否できるんですが、夫が子供を持たないことにはまだ罪悪感が拭えないんです。
夫は優しく誠実な人で、こどもからも好かれます。
夫もはっきり子どもはいらないという考えではあるものの、自分と結婚しなければ違う考えだったのではと思わずにいられません。
そういったこともあったし帰宅してからは、自分の一挙手一投足を思い返し、すっごい些細な出来事さえ「あの時こうすれば良かった」とよぎり激しく頭を抱えて奇声を上げていました。
正直私の人生で一番苦しいのがこれです。
何度も何度も自分のこと考えて苦しむことを繰り返してしまいます。
当然ながら、これは私がやりたくてやってることじゃなく自動的に、雷のように発生してしまう症状です。
こんなに苦しむのなら、記憶喪失にでもなった方がましなんじゃないかと思うくらいつらい。
子どものころからこういった思い返しがあるので、きっと元来の気質だと思っています。
気付いたらわーんと泣いてしまい、夫は「完璧だったから大丈夫」といつものように慰めをくれます。
私が何度もこういうことを繰り返しても、また?とならずに毎回しっかりと慰め励ましてくれる夫にはずっと救われています。
何度も奇声を繰り返し、ようやく落ち着いてきた感じがします。
でも、これでも10代の時の繊細さからはとても図太くなりました。
1日、2日と時間が経つと、思い返しても泣くほどじゃない。
健常者に比べれば、健全な精神とは言えないまでも、私の中では成長しました。
例年通り心は乱高下しましたが、とりあえず大きなトラブルも起きずに終わったので良かったと思います。
私だけでなく家族関係が穏やかではない全ての人々、お疲れさまでした。